黒沢明のご家族
トラン
1951年に、ヴェニス・フィルム・フェスティバルで黒沢明の「羅生門」を見せました。1941年まで、黒沢さんえいがを作りましたが、私は黒沢さんのえいがについてかきません。黒沢さんの子供時代について書くたいです。
黒沢ご家族
1910年3月23日に、大森区で黒沢明さんは生まれました。大森は小さい区で、東京の南にあります。黒沢さんのご家族は十家族でした。お父さんが一人とお母さんが一人とご兄弟がありました。お母さんは大阪からきました。お父さんのなまえは黒沢いさむさんでした。古い侍の家族からきましたが、お父さんはえいがが好きでした。黒沢いさむさんはえいがが好きなので、黒沢明さんはえいがかんによくいきました。六さいの時、はじめてえいがをみました。
黒沢へいごさんと黒沢明さん
でも、黒沢さんのお兄さんは一番じゅうよでした。なまえは黒沢へいごさんです。黒沢へいごさんはあたまがよくてせが高くてきがつよいでした。そして、ロシアの本を読むのが好きでした。黒沢へいごさんは何番目分りませんが、黒沢明さんは一番下でした。
小学校の時、男の子は黒沢明さんをいじめました。毎日小学校にあるいて行きましたは、黒沢明さんは小さい男の子でした。よくなくのでお、黒沢明さんのニックネームは「いぶくろの目」。
小学校にあるいて行くの時、黒沢へいごさんは黒沢明さんと話しましたが、小学校で話ませんでした。でも、男の子は黒沢明さんをいじめるの時、黒沢へいごさんはたすけました。黒沢へいごさんはときどき優しいでした。
黒沢へいごさんはべんしでした
日本にじしんがたくさんありますが、一番大きい地震は関東大震災でした。1923年9月1日に、黒沢さんは本やまで家にかえらたら、関東大震災は起こりました。黒沢の家と黒沢さんのご家族は大じょうぶでした。でも、黒沢へいごさんはまちをみたがっていました。だから、黒沢明さんはお兄さんと東京をみにいきました。黒沢さん多い死と破壊を見ましたが、あのけいけんはじゅうよでした。
関東大震災、ゆうらくちょう
黒沢:くろさわ
明:あきら
羅生門:らしょうもん
について:“About”
生まれる:
(to) be
born
大森:おおもり,
Omori District
区:ちく、District
侍:さむらい
じゅうよ:Important
いじめる:(to)
bully
なく:(to)
cry
「いぶくろの目」:
“Gumdrop
Eyes”, often translated as “of the gumdrop eyes” or “Mr.
Gumdrop”
じしん:Earthquake
関東大震災:
Great
Kanto Earthquake
起こる:(to)
happen
死と破壊:
Death and
Destruction
べんし*:This is difficult to explain in Japanese, so I'll note it here. The benshi were a tradition of Japanese film exhibition, professionals who provided context for foreign films by speaking during screenings. Heigo Kurosawa became a well-known benshi before his death. This - like his excursion to post-earthquake Tokyo - no doubt deeply influenced Akira Kurosawa's younger years.



すげぇな。黒沢明の羅生門映画を見ました。
ReplyDelete黒沢さんは子どもの時、いじめられて大へんでしたね。黒沢さんのお父さんも映画が好きだて知りませんでした。 私は黒沢の隠し砦の三悪人(The Hidden Fortress)が好きです。羅生門もおもしろいとおもいます。黒沢さんのお父さんも映画が好きだて知りませんでした。
ReplyDelete私は黒沢明さんの映画を見なかったけと、トランさんのブログを読んだあとに羅生門を見たいでした。黒沢さんはご兄弟が多くて、良かったですね。黒沢さんのお兄さんは優しかった。私は姉がいますが、兄が欲しいです。そして、地震は大変で、残念でした。
ReplyDeleteすごいはなし(story)ですね。そして、そのえいがはとてもおもしろそうなえいがだとおもういます。でも、トランさんのことをもっとしりたい!何になりたいですか。どこにつとめたいですか。
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